いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。予備校講師ハトです。先日、吹奏楽コンクールの無料配信を聴いてからより自分自身と向き合えている気がします。
部活に青春を懸けることはとても重要です。とはいえ、指導が行き過ぎると教師も生徒も不幸になってしまう。これは吹奏楽部に限らず全ての部活に当てはまる話です。予備校講師として外から学校の部活を見ていると色々考えてしまうことが多いです。
①過酷な労働を強いられる顧問
これまでの記事ではどちらかといえば生徒側の立場で書いてきました。ですが、部活の顧問の過酷さも相当なものです。
塾講師の知り合いで教員から転職してきた経歴の持ち主がいますが、やはり相当過酷だったようで「練習試合の引率で休日が潰れるのがザラ」「全く知らない競技の顧問になって何をすればよいのか分からなかった」「部活のレギュラーになれなかった生徒の親からクレームの電話が来た」と辛さを語っていました。
最近、部活動指導員を外部から導入するという対応もなされているようですが、まだまだ課題は多いと聞きます。また、良かれと思って受け入れた部活動指導員が問題を起こしてしまうこともあります。
こういった部分への対策も必要です。
②生徒がパワハラの被害に
今年の夏の甲子園では慶応高校が優勝し、所謂「エンジョイ・ベースボール」の精神が話題になりました。
それ以前から野球部の抱える古い体質(丸刈り強要など)はしばしば問題となっていましたが、慶応高校が優勝したことでこういった部分が変革していくかもしれません。しかし、本質的な問題は、なぜここまで過去の考え方がアップデートされないまま残ってきたのかということです。一概に批判するものでもないのかもしれませんが、野球部に限らず体罰問題が起きたりすると必ず「体罰を受けたことに感謝する」層が一定数いることに疑問を感じてしまいます。
調べてみると興味深い論文が見つかりました。
「被体罰経験者はなぜ体罰を容認するのか ―被体罰経験に対する肯定的認知及び感謝感情に焦点を当てた検討―」(久保昂大・杉山佳生・内田若希)という論文です。もの凄く分かりやすく結論を書くならば「体罰を受けた人間ほどその経験を肯定し感謝する傾向がある」というものです。それが本当なら、確かにスパルタを経験した人たちが体罰を容認する傾向にあるのも頷けます。
ですが、過去の価値観に全てを当てはめて欲しくないと個人的には感じます。何より大事なのは生徒の命ですから。
結論が出るものではない
こうやって文章に書いてみても良い結論がなかなか思い付きません。部活を考えたとき、良い面、悪い面というだけでなくそれを取り巻く環境が複雑過ぎるのです。単純に「こうすればよい」というものがないのです。勿論様々な改善策はあるでしょうし実験的に導入もされているのだと思います。それでもこういった問題は簡単には解決しないことは容易に予想ができます。
どうも世間一般の傾向として、すぐに分かりやすい結論を求める傾向があると感じています。こういった問題については後回しにしてはいけないのは勿論ですが、暫く時間がかかってしまうのだと思います。ですが、学校教員ではないものの教育にかかわる仕事に就いている身分ですし、何かできることがないか常に考えていこうと思います。
更に感じることとしては、これまでの厳しさ一辺倒だった面から反省して「生徒の自由、自主性」の委ねる…そこまではいいのですが、どうも「自由」「自主性」をはき違えている人も多いように思えます。こう言った部分の教育も必須であるのではないでしょうか。
それでは今回もご覧いただきありがとうございました。
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