「鈍感力」と「敏感力」

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教育の呟き
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いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。予備校講師ハトです。このブログを書いているのは5/27(土)の夜20時くらいなのですが、本日は遠く横浜市までドライブで来ております。そして立ち寄ったスターバックスにてこのブログを執筆しているのです。

写真を撮っていないのでフリー素材で代用します。

それにしても、昔より人の目が気にならなくなったなあ…と感じます。今でも相当人の目や顔色を気にしてしまう方なのですが、それこそ10年ほど前でしたら…そうですね、まずそもそもスタバに行けないでしょうね。「こんな不細工で服飾センスもない自分が行ったら笑われる…」という心理になります。

仮にスタバに入れたとして、その後怯えて何もできなかったでしょうね…兎に角、今でも気持ちが落ちているときなどにもそういう傾向がありますが、他人が自分を馬鹿にしていると錯覚してしまうのです。

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「鈍感力」が重要と職場の人にも言われますが…

「鈍感力」という言葉が世間に浸透したのはいつ頃だったでしょうか。少なくともそう昔の話ではないように感じます。

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これはあくまで僕の個人的意見ですが、世間が求めているからこそ「鈍感力」というワードが誕生、成長していったのではないかと思うのです。あるいは、既に世間一般で認識はされていたものの概括的だったものが「鈍感力」ということばで具現化されたのかもしれません。



実際、職場で大変優秀な人がいらっしゃるのですが、まさにその人は「鈍感力」のカタマリといって差し支えないでしょう。余計なことは考えず重要な物事だけを捉えるその人に対し、自分は細かい部分にまで思考が及んでしまう…そんな様子を見かねてか「考えすぎない方がよい」とアドバイスをいただくわけですが、そこでまた考え込んでしまうわけです。

この繰り返しで「敏感すぎる自分はどうなのだ…」となってしまう悪循環にハマっているわけです。

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「敏感力」とは…

ここ最近ふと気になったことが「鈍感力」という言葉があるのならば「敏感力」という言葉はないのか、ということです。気になって調べてみると…

どうやらあるにはあるようなのですが、どちらかといえば「生き辛さ」を象徴しているようです。 こちらもここ最近耳にするようになりましたが、HSP (Highly Sensitive Person)という特性ですね。敏感、繊細過ぎて生きることに困難を感じてしまう…そういう人が増えているとのころです。

残念ながら「鈍感=生きやすい」「敏感=生き辛い」ということは真実ではあると思います。勿論、どちらかの特性に偏りすぎている場合だと思いますが…

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見えないモノをどう見るべきなのか

敏感で考えすぎる人が不幸になる…これは当事者であるからこそ感じる面もあるのですが、あまりにそういった人達へのケアが遅れていると思います。反面、そういった対応があまりにも困難であることも理解できます。何せ、目に見える怪我なら処置できますが、特定の数値が明確ではない「敏感さ」に対してガイドラインを作ることは不可能ですから。

もっと突っ込んだことを言ってしまうのであれば、特性の異なる両者が同じ土俵で互いに恩恵を受けることを考えるべきではないはずです。勿論、より大多数が幸福を享受できるような仕組みは必要です。しかしながら、それがたったひとつの場所、機会、方法である必要は果たしてあるのでしょうか。

そこにこそ「多様性」があって然るべきです。

どうにも物事は「白か黒か」で捉えられがちですが、そもそも世の中の問題に解決すべきことはあれでも、解は複数あるはずです。多角的な視点…なかなか意識しないと難しいものですが、これが自然になる世の中を生み出していきたいものです。

さて、纏まりはありませんが今回の記事はここまでとさせていただきます。ご覧いただきありがとうございました。



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