教員と予備校講師は相容れないのか①

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教育の呟き
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いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。予備校講師ハトです。そうです、予備校講師です。

この仕事を生業にして数年になりますが、たまにアンケートサイトでポイ活などしていると職業選択で何を選ぶべきか迷うことがあります。教員関係なのかサービス業なのか…それこそ上のフリー素材の画像だって学校の先生なのか塾の先生なのか分からないですしね。

さて、先日吹奏楽コンクールの配信を視聴したのですが、かつての自分は「学校教員になって吹奏楽部の顧問になる」なんていう夢を抱いていたこともあったことを今更思い出しました。今回は、どうして教員にならずにこの道に進んだか、改めて振り返ってみたいと思います。要するに自己語りですね(笑)



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尊敬すべき父親

教員を目指す人の肉親が教員である、というのはよくある話です。ご多分に漏れず、僕の父親も教員、それも担当教科も同じ高校数学だったりします。

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父はそれなりに名前の知れた教員であり、僕が今の予備校に勤め始めたころの歓迎会で「苗字が同じだけどもしかして(苗字)先生の息子さん??」と聞かれたほどです。というか面接段階でバレていたようです。その段階で「彼は数学が苦手と言っている(実は採用時には文系科目志望でした)が、あの先生の息子ならやればできるだろう」といずれは高校理数系科目を担当させる方向になっていた、と後に知ることになりましたが。曲がりなりにもこうやって理数系科目指導が出来ている辺りは血は争えなかったのでしょう。そういう意味では感謝しています。

ある日Twitterを見たら、自分の父親の名言botが作られていたなんてこともありました。名物教師として教え子の方たちに慕われていたのは間違いなかったと思います。

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軽蔑せざるを得ない父親

一方で人間だから欠点もあるものです。父はかなり人間的には極端な人でした。今振り返ってみると、かなり矛盾を抱えており、それを自分の中で消化しきれていない面があったように思えます。

彼は強烈な教養主義から生まれるある種の偏見のようなものは持っていました。しかし、決してバカな人ではなく「学問以外に大切なこともある」ということも分かっていたはずです。しかし、進学校中心に教える中で、僕を育てる中で「学問をすることで全てに繋がる」という考え方、これ自体は正しい部分もあると思いますが、それが極論化していったのは間違いありません。

また、彼は相当な理系偏重主義、それも国公立大学主義でした。私立大学へ進学する生徒は名門、中堅問わず罵倒に近い表現で扱き下ろしていました。なまじ指導力のある人間だったため、学校全体(自分は父親の勤めていた学校へ進学した)も「国公立理系以外に人権はない」「部活の結果も学問を究めることで付いてくる」といった異常な空気が当時はありました。当時はそれが自然のように思えていたのですが、この空気感は相当長い間、その後の僕の人間関係に歪みを与えてしまいました。勿論、それは自己責任であるのですが。また、当時を知る予備校の同僚の方(僕の同級生を教えていた)の話で「私立文系を希望していた生徒さんが『自分は私立文系に進みたいのに学校がそれを許してくれない』と塾で泣いた」という話も先日知りました。

また、彼の「国公立理系に進めば間違いない」という考えの根底には「日本の研究力」「日本の理系企業」に対する盲信もありました。元来思考力のある人間でも、理系企業や大学が話す、あるいは発表する表面的なものを都合よく捉えてしまう…これには今更ですが寂しさを覚えてしまいます。自分が大手電機メーカーに在籍していた際に問題点を話しても聞く耳もたずでした。いや、聞く耳はあったのでしょうが、それ以上に事実を受け入れたくない心が勝っていたのやもしれません。

そして、これは父に限らず教員の方に多いのかもしれませんが、とにかく塾を毛嫌いしていました。顕著だったのは僕が高校生の頃で「塾に通うような奴は最後に痛い目を見る!!」と口癖のように語っていました。同級生でも塾に通っている人はいましたし実際はそんなことはなかったのでしょうが、毎日それを吹き込まれた自分はそれを信じ切っていました。それこそ塾に通っていた同級生と口も聞かない、なんて状況に陥っていました。今思うと僕も軽蔑されても仕様がない人間ですね。

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教職への疑問

元々の性質だったのか、変わってしまったのかは定かではありません。ですが、父と話した際に「教員なんて就くべき仕事ではない」と語られたことがあります。その頃はまだ今ほど「教職=ブラック」という認識は薄かったですが、そんな彼の姿を見て教員に対する憧れが崩れかけていったのは確かでした。

ただ、僕が完全に教員という選択肢を閉じることになったのは他にも理由があります。それには父だけでなく他の親族、そしてそれ以外にも原因はあるのですが、今回は文章が長くなりました。次回はこの続きを書いていきます。それでは今回もご覧いただきありがとうございました。



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