多様性の浸透は…

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予備校講師の教育論
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いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。予備校講師ハトです。先日、ネットサーフィンをしていたところ、以下の記事を見つけました。

客「金髪の店員がいる」→店「従業員の髪色、ネイル、自由です」 首都圏スーパーの取り組みが話題、バイト希望者も増加(まいどなニュース) - Yahoo!ニュース
スーパーマーケットの店頭に掲げられたポスターが話題になっています。「従業員の身だしなみ 多様化、始まる。頭髪・ネイル等の基準を大幅に緩和しています。お客様のご理解ご協力をよろしくお願いいたします」
ヤフージャパンニュースより『客「金髪の店員がいる」→店「従業員の髪色、ネイル、自由です」 首都圏スーパーの取り組みが話題、バイト希望者も増加』

この記事に出てくるベルク、関東の方には馴染みがあると思います。安くて質も良いので僕もよく利用しています。

さて、上記記事の内容を簡潔に伝えると『多様性、個性を尊重し髪の色などの制限を緩和した』ことについてです。個人的にはこの流れは賛成です。というより、なぜここまで日本は黒髪などに執着しているのか…不思議ですよね。



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日本の伝統的な価値観を考えると…

改めてですが、僕個人は黒髪に拘る必要性は感じていませんし、何なら髭を生やしたりもしたいタイプです。その上で、もし僕が「金髪や髭NG!!」と言うとしたらどのようなケースなのか考えてみました。

  1. 相手の価値観にそぐわないため、消去法的に選択せざるを得ない
  2. 統制が取れなくなることを恐れている

この2点のような気がします。まず1についてですが、これはまさに現状の僕がそうです。もし高校生の子供を持つ親が「子供を予備校に通わせたい」となったとしましょう。仮にも地方の進学校を対象にした予備校の校長、しかも親世代よりも年下の僕が金髪でサングラス、そして髭を生やしていたとしたら??

有名予備校講師なら別かもしれませんが、まず間違いなく入塾を躊躇してしまうのではないでしょうか。そういった考えがあるからなのでしょうが、会社としても『黒髪、髭無し』が規則になっているわけです。面白いことに、会社の流れとしては決して『多様性を否定』しているわけではないのです。ですが、上記理由でそれと逆行する動きをせざるを得ないということです。

ただ、それよりも根深いのは2の問題だと思います。

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儒教教育の影響

恐らくこれが大きいのだと思います。儒教といっても多くの系統がありますが、ここでは「朱子学」「陽明学」にスポットを当てます。江戸時代、学問として奨励されたのは「朱子学」でした。その一方で「陽明学」は異端として弾圧されていました。

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ものすごーく簡潔に書くと、朱子学は「大義名分論」といって「礼」を重んじており『親や先祖、目上の人を敬いなさい』というものです。それ自体は正しいのでしょうが、これは統治する側にとっては非常に都合がよいわけです。なにせ「目上(幕府)に従うことが正義」とできるわけですから。

一方、陽明学は「知行合一」という主義です。これもものすごーく雑に書くと『頭でっかちな考えに固執するのなら行動で示せ』ということです。そもそもが形骸化していた朱子学を批判することで生まれた考えなので、当然統治側には都合が悪かったわけです。

ちなみに、この人も陽明学の影響を大きく受けています。

話を現代に戻しますが、良くも悪くも日本は「朱子学」の影響が残っています。年齢層が高いほど「保守的」な考えに固執するのはこれが関係していると思います。口の悪い言い方をすれば、若い層を従わせるには『規律』を守らせておけばよい、目上の人に従うのが正しいのだ…といった思想の蔓延が日本の停滞に繋がっているように感じてしまいます。

この数百年にわたって根付いてしまった風習はなかなか変えることも難しい…ですが、このままではいけないようには感じます。変に争うのもおかしいわけですが、ある程度の波を起こしていかないと変化は起こりません。世界の中で生きるためにはどうしていくべきか…難しいですね。そういう意味では上記のベルクの動きは相当に革新的ですよね。

それでは今回もご覧いただきありがとうございました。



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