いつもブログをご覧いただきありがとうございます。4記事目突入となるこのタイトルです。もっとズバッと纏めたいものですが、そこは管理人の文章力が貧弱ということでお許し願いたいです…
前回までの記事は以下の通りです。
こういった記事を書くことで、自らのイメージしている理想の講師像は何ぞや?と常に自分自身も問いかけています。そういう意味では僕自身も泥沼に嵌っているのやもしれません。今回は「教材研究」について触れていきます。
「教材研究」は何を「研究」しているのか
「教材研究」という単語が表す意味は幅広いものです。教材そのものの作成をする際、既に作成された教材の内容を確認する際のどちらでも使われます。ただ、予備校講師が使う「教材研究」とは「より生徒の成績を伸ばしうる教材を作成する」ことを示しているのではないか、と個人的には思っています。
とはいえ、これは相当難しい話です。生徒個人によって捉え方は様々ですから、万人受けする教材というものを作ることは不可能です。ですので、とにかく多くの教材を確認し、その時受け持っている生徒の大多数に合わせていく…これが現状です。
あくまで僕の場合ですが、一から問題そのものを作成するということはせず、様々な問題集から「これはいいな」と思った問題を集約する、という方法をとるケースが多いです。勿論、著作権侵害にならないよう教材作成ソフトを購入した上で行っています。
我々は誰が為に教材研究をしているのか
こういった教材作成を行っていくと「なんだ、この問題は…」という問題が必ず見つかります。問題集として疑問符がつくものも確かに存在します。中には、有名問題集の解説を見て「これはくだらない解説です」と言い切った講師もいます。予備校講師としてのキャリアを積んでいくとある種の教育理論がその講師の中で形成されていきます。そのため、自分の理論に沿わない教材を思わず軽んじてしまいがちになることがあります。
ですが、それは予備校講師としての仕事とはいえません。忘れてはいけないことは「予備校講師は生徒の成績を上げる」ことが仕事ということです。講師の教育論を押し付けることはただのエゴです。
しかしながら、自分自身の教育に自信がある講師ほど「自身の教育論」を押し付ける授業を行います。排斥的な授業というべきでしょうか、兎に角自分の考えと違うものを否定してしまうのです。
そうすると、自身の世界観を受け入れる生徒を評価する…一般的な正解ではなくその講師の考えと近しいだけの生徒を過大評価してしまうのです。こういった場合、多くの生徒は受験で(本人やそういった講師にとって)思わぬ結果となります。周囲から見ていると「やっぱり…」と思えるのですが。
あらゆる物事の知見を広めるべき
結局のところ、狭い世界に住む人間は狭い世界しか教えることができないのだと思います。学問だけを極めるだけではなく、あらゆる文化や社会への理解を深める必要があります。
あくまで僕自身の考えですが、生徒に「自己解決能力」を身に付けさせることが予備校講師としての究極のあり方なのではないでしょうか。そのためには講師側はあくまで生徒を導くサポーターでなくてはいけないのだと思います。教材研究も「講師の主張を押し通す」ためなのか「生徒をいかに導く」ためなのかで大きく変わっていきます。あくまで僕は生徒のための教材研究を行っていきたいものです。
まとめ
ここまで4つの記事を書いてきました。結局のところ
「あくまで生徒のためにサポートする立場であるべき」
ということが言いたかったのですが、長文となってしまいました。とはいえ、自分自身が伝えたいことはまだまだ沢山あります。日常で感じることなどを今後も書き連ねていければと思います。
今回の記事は以上となります。ご覧いただきありがとうございました。
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