理想の講師像を追い求めて泥沼に②

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予備校講師の教育論
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お久しぶりの投稿になりました

この2週間ほど生徒さんの国公立大学合格発表の結果確認や新年度の準備に追われていたこともあり、投稿がだいぶ遅くなってしまいました。

今年度も東京大学といった難関国公立大学に合格者を輩出できました。もちろん、難関大学で人生のすべては決まりません。高学歴の肩書よりも「何を学び、何を身に付けたか」が大事です。それはたとえ難関大学でなくとも同じです。正直なところ、僕としては「やりたいことをできるならどんな大学でもよい」というのが本音です。

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有名大学に合格させる理由

では、なぜ教育業界では「有名大学への進学実績」にこだわるのでしょうか。結論は

  1. 経営のために実績が必要
  2. そもそも予備校の存在意義がそこにある

だと感じます。

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1.経営のために実績が必要

これはある程度仕方ないことだと思います。生徒さん、保護者様からしてみると、いざ塾や予備校に入ろうとした際の判断基準は合格実績になるからです。

「東京大学に10年連続合格!!」「医学部医学科に現役合格!!」

と謳い文句に書いてあればアピールポイントになります。さらに、昨今ではコロナ禍の影響もあってか、医療技術系の人気が急激に上がっています。こういった学部では小論文、面接対策が必須になることがあり、そこに対するアピールを行うことも多くなってきています。

2.そもそも予備校の存在意義がそこにある

はっきりいってしまえばこれがすべてなのかもしれません。塾や予備校は「合格させてナンボ」の世界です。一昔前はパフォーマンスに走る予備校が多く存在しましたが、その殆どが淘汰されました。受験は結果がすべてです。勿論、その過程での学びは結果にかかわらずその後の人生の糧になることは疑いの余地がありません。

しかし、予備校側への評価基準は「合格実績」のみです。生徒さんが第一志望に不合格となることは残念ながら毎年起こります。それでも全力を尽くした生徒さんは「努力した結果だから仕方ない」「ここまで教えてくれた先生に感謝しています」となることが多く、講師と生徒さん同士ではある種の達成感を嚙み締めているなんてことがあります。

それを第三者から見たら「第一志望に不合格になった生徒」「第一志望に不合格にさせた予備校」でしかないわけです。そうして悪い評判が生まれる、なんてことになれば経営に悪影響が及んでしまいます。ですから、毎年合格実績を出し続けることに追われるわけです。

1と2の悪循環

予備校は経営のために必死で合格実績をアピールし、それを見た層が入学し有名大学へ挑戦していく…この流れは続いたことで、いつしか予備校は有名大学への合格のためのみに存在する、という空気が生まれたように感じます。その間に、日本は学歴社会から実力主義の社会へとゆっくりですが確実に移行しつつあります。

ところが、その波に予備校業界の多くは乗り遅れたのではないでしょうか。というよりも、高学歴を生み出すために存在するのが予備校ですから、そもそも波に乗ることができなかったのかもしれません。

自身から見た存在意義、他者からみた存在意義の両者のアップデートをしないと今後の予備校は生き残れないのでは…と個人的には危惧しています。勿論、学問こそすべての基本ではあります。学問を通じて「自ら疑問を解決に導ける」存在を生み出せるよう心掛けていかねばいけないです。それこそが「出来る生徒」に繋がっていくはずですから。

さて、文章にまとまりはありませんが今回の記事はこのくらいにしておこうと思います。次回の記事では「出来る生徒、出来ない生徒」について触れていこうと思います。

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