いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。予備校講師ハトです。前回の記事の続きを書いていこうと思います。
個人的には「頭の良さ」とは「論理的思考力がある」ことなのではないか、と最近は感じています。先日、大学時代の後輩と10年振りに再開して話をしたときもそんな話題が出ました。とはいえ、この力はそう簡単に身に付くものでもありません。件の後輩も「小さい時から身に付けるべきもの」と発言していました。
幼少期から自発的に論理的思考が出来るかどうか
普通に考えれば、初めから全ての幼少期の子に論理的思考力が備わっているとは思えません。差を分けるのはほぼ間違いなく『外的要因』です。
まず、当たり前かもしれませんが、親が子供に「なぜ」「どうして」を考えさせることが大事です。これは簡単な算数の勉強や遊びなど種々の方法があります。重要なことは、まずは子供が『考えること=楽しいこと』と感じられるようにすることです。
つまりは大人も子供と一緒に「思考実験」をすると良いと感じるのです。こういった思考実験で面白いことは、固定観念のある大人よりも子供の方が柔軟な発想をすることがままあるという点です。勿論、固定観念も大事な面はあるのでどちらが良い悪いではないのですが。
『答えのない問い』を考える力
さて、これも前回の記事で軽く書いたのですが、本当に必要な力は「答えのない問いに答える」ものです。幼少期から論理的思考力を付けさせることは勿論重要なのですが、気を付けなくてはいけないことがあり、それは『理屈っぽさ』になってはいけないということです。
ここ最近、世間で『論破』というものがもてはやされている気がするのですが、あれはあくまで「自分に有利に論点をすり替える」ものであり、本質的な論理的思考力とは異なるのです。明らかな間違いならともかく、重要なことは「正しい」「正しくない」に対して白黒付けることではなく、より良いと思える考えを精査していくことです。そういう意味で、ここの所の『論破』の流れはあまり見ていて気分のよいものではないです。
自らも常に意識しなければならないと感じています
こうやって文章を偉そうに書いているものの、自分だって論理的思考が出来ているか、といえば必ずしもそうではありません。どうしても感情に任せてしまうこともあります。とはいえ、人間は感情があるからこそ人間でもあります。論理的思考力を身に付けることと感情を捨てることは全くの別物です。未熟である自分を受け入れつつ高みを目指していこうと思います。
それでは今回もご覧いただきありがとうございました。
コメント