教育現場で何を育むべきか

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予備校講師の教育論
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いつも当ブログをご覧いただきありがとうございます。予備校講師ハトです。GWが終わりなかなか生活リズムを取り戻し辛いという人も多いと思います。まずは焦らずに体を慣らしていきましょう。

さて、今回はタイトル通りですが「教育の在り方」について触れていきます。

僕は理数系教科の講師をしていますが、今回は文理を問わない話です。

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かなり生徒の読解力が落ちているのが現状です

これはあくまで僕や同僚の先生の認識に過ぎないのかもしれませんが、この数年で大多数の生徒の読解力が壊滅的になっているのです。

読解力というより、単純な知識不足も問題で

「罵詈雑言という単語を初めて聞いた」

「日本の県庁所在地が分からない(数個勘違いしていたなら分かりますが、自分の住んでいる県の県庁所在地も分からないケースが多々あります…)」

地域の進学校に通う生徒がこういった現状である、というのは由々しき問題です。

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彼らは「結論」のみ求めたがる傾向が強い

こういった知識不足、読解力不足の生徒の話を聞いていると、どうも彼らの根底にあるのが「とにかく答えを知れたらそれでよい」というものです。

どんな教科でも、もっといえば学問に留まらず日常生活でも「過程」があるからこそ「結果」があるものです。それなのに、積み重ねをせずに完成品を求めるものだからあまり良い方向には向かいません。

僕は「結果は過程の積み重ねで生まれる」と考えています。だからこそ、授業でも「なぜ」「どうして」を強調しているのですが、生徒の表情を見ていると「…これは響いていないなあ」と感じることもままあります。

しかしながら、そんな現状がまずいということを感じている生徒が少ないのが現実です。これは彼らが悪いのではなく、彼らを育てる立場であるた教育者側が責任を感じるべき課題といえます。

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受験においても「過程」が重要視される

教育者側の責任と先に挙げましたが、受験で求められる能力も変化してきています。数年前からセンター試験に代わって導入された共通テストでは「学力の三要素」の評価が求められてます。具体的には

「知識・技能」

「思考⼒・判断⼒・表現⼒」

「主体性を持って多様な人々と協働して学ぶ態度(主体性・多様性・協働性)」

です。

図の通り、最低限の土台として学校で習う知識・技能が必要となります。そして、それをどのように使うか、どのように役立てていくかを習得してもらう狙いがあるわけです。

ですが、土台となるべき知識があまりにも弱い…こちらも先に挙げたように、仮にも進学校に通う生徒が「罵詈雑言」の意味を知らないという現状があるわけです。

物事への興味関心をどのように強めるか

多くの生徒から物事に対する興味関心自発的に何かを学ぶという精神が薄れているのが現実である以上、ここを如何に変えていくかが教育現場に求められていることだと感じています。

花梨さんに「なぜ上記のようなことが起きているか」を尋ねると「情報化社会になったことで、本来は取捨選択すべきものをがあるにもかかわらず、そこで自らの判断を放棄しているから」と返答がありました。これは大いにある話だと感じます。困ったらネット検索できてしまう時代ですしね。

ですが、ネットですぐ調べられるということは決して悪いことではありません。必要な知識をすぐに得られることは良いことにちがいありません。

しかしながら、かつてネットが普及していない時代では、一つの知識を得るにも大変な苦労がありました。図書館に行ってみたり、誰かに質問してみたり…そういった過程を経ていく間により知識の深掘りができたり、新たな事象に興味を持ったりするということは経験できなくなりつつあるのかもしれません。

そういった層に対して我々教育現場の人間は何をすべきなのでしょうか。間違いなく「知識の深掘り」「新たなことを学ぶ」ことによって得られる喜びを如何に味わせてあげるかが大事なのだと思います。非常に難しいことではありますが、ここを突き詰めていこうと最近強く感じています。

纏まりはありませんが今回の記事はここまでにしようと思います。ご覧いただきありがとうございました。

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